船底に絡みついた藻は、放っておくと厄介なものだ。最初は糸のように細く、気にするほどでもない。だが日を追うごとに幾重にも巻きつき、いつの間にか舵の利きを重くしていく。厄介なのは、その藻が自分から絡みつきに来たのではなく、船が傷んだ荷を降ろせずに同じ場所へ長く留まり続けたせいで、静かに育ってしまうという点だ。
黄金の海図の魔物図鑑には、この藻をそのまま名付けた者がいる。「損切れずの藻」。傷んだ荷を下ろす決断を先延ばしにし続ける者の足元に、いつの間にか絡みついてくる魔物である。
手放せない藻に、足を絡め取られる感覚
図鑑にはこう記されている。「船底に絡みついて手放させぬ藻じゃ。傷んだ荷ほど下ろす決断が重くのしかかり、失う痛みを避けたい一心で抱え続けてしまう。人は得より損を強く恐れるもので、それが藻を余計に絡ませるのじゃな」。
手放せば楽になると分かっていても、指先は荷から離れない。頭では理解していることと、実際に手が動くこととの間には、思いのほか大きな隔たりがある。多くの人が、一度は覚えのある感覚だろう。
プロスペクト理論とは何か――損失回避性の理論
この「手放せなさ」を、物語ではなく理論の言葉で説明したのが、行動経済学者ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが1979年に発表した「プロスペクト理論」である(発表誌はEconometrica)。
理論の核にあるのは、人は同じ額であっても、利益を得る喜びより損失を被る痛みの方を強く感じてしまうという「損失回避性」の考え方だ。加えて、利益が出ている局面では手堅く確定させたくなる一方、損失が出ている局面ではかえってリスクを取ってでも取り戻したくなる、という非対称な性質も指摘されている。評価の物差しは金額そのものの大小ではなく、「今どこを基準点として見ているか」によって変わる、というのもこの理論の重要な視点だ。
もう一つ、この理論が説明する性質として、基準点から離れるほど心の感度が鈍くなる、というものがある。無一文から一万円を手にする喜びと、既に百万円を持つ状態でさらに一万円を手にする喜びは、同じ一万円でも感じ方が違う――そんな凹凸のある感覚が、利益にも損失にも当てはまるとされる。カーネマンは2002年、こうした一連の功績によりノーベル経済学賞を受賞している(トベルスキーは1996年に他界しており受賞の対象とはならなかった)。
なぜ利益は急いで確定し、損失は先延ばしにするのか
この損失回避性から導かれる投資家の行動傾向を、1985年にハーシュ・シェフリンとメイア・スタットマンが「ディスポジション効果」と名付けた(発表誌はJournal of Finance)。含み益が出ているポジションは早々に手放し、含み損が出ているポジションは長く抱え続けてしまう――そうした傾向を指す言葉である。
背景には、損失を確定させることへの痛みを避けたい気持ちに加え、抱える荷ごとの損益を別々の財布のように数えてしまう心の癖、後で悔やみたくないという感情、そして自分を律しきれない自己統制の難しさなど、いくつもの心理が絡み合っているとされる。理屈では分かっていても指先が荷から離れないのは、こうした心の仕組みが幾重にも作用しているからなのだろう。
「損切れずの藻」という魔物が生まれた理由
黄金の海図が、この心理をわざわざ一体の魔物として描いたのには理由がある。数字や理論の名前だけでは、自分がその渦中にいることになかなか気づけないからだ。魔物という姿を与えれば、「今、藻に足を取られているかもしれない」と、自分の状態を一歩引いて眺めやすくなる。
図鑑には、この魔物への向き合い方として、こう記されている。「絡んだ藻は無理に引きちぎらず、まず船体への影響を数えるとよい」。もっとも、この一言も、いつ手放すべきかの答えを教えてくれる魔法の呪文ではない。ただ、藻の重みに気づくための、一つの目印に過ぎない。そして甲板には、こんな声が今日も居座っているという。「今日はまだ待とう」。
名を知ることは、藻から抜け出す最初の一歩
プロスペクト理論もディスポジション効果も、傷んだ荷を下ろす正しい頃合いを教えてくれる魔法の数式ではない。理論が教えてくれるのは、「なぜ自分がここまで手放せずにいるのか」という、心の仕組みの名前だけである。
けれども、名前を知るということは案外大きい。得体の知れない不安として抱え続けていたものに輪郭が与えられた瞬間、人はそれを少し遠くから眺められるようになる。藻が絡みついていること自体に気づけなければ、船を軽くする機会にすら出会えない。損切れずの藻という魔物の名を覚えておくことは、藻に気づくための、最初の一歩なのだろう。
甲板に立って足元を見下ろし、絡みついているものがあるかどうかを確かめる。そんな小さな習慣一つが、理論書を何冊読むよりも、藻の存在に気づく助けになることがある。